「ギロチンマシン中村奈々子-義務教育編」

「感情とは――なんですか?」
「心とは――なんですか?」
「人間とは――なんですか?」
「あなたは――奈々子と同じ顔をしていました。だから、きっと人間だと思いましたし、実際――人間でしたし、だったら、そのう――教えてくれるかもって」
「本当に――嫌になるくらい、わからないのです。人間とはなんですか?」
「人間とは――なんなのですか? 教えてくださいよう……」


あらすじ

狂乱家族日記』や『アンダカの怪造学』シリーズの日日日が手掛けるSF(要素のある)ラブコメ
人間とロボットは戦争をしている。一人の科学者がロボットに自我を与えた。ロボットは人類に反旗を翻し、人類は滅亡の危機に瀕していた。<チェシャ・キャット>自我を持つロボットの頂点に君臨する存在。少年兵である「ぼく」は<チェシャ・キャット>破壊の命令を遂行中に何者かからの攻撃を受け見知らぬ場所に漂着する。そこはロボットが人間の感情を学ぶための<学園>と呼ばれる場所だった。「人間」であることがバレれば即抹殺、そんな中「ぼく」は彼女と出会う―

「本日の処刑を実行させていただく、執行人は、わたし――」
「中村奈々子でございます」


人間とロボットの違い?

予想以上の面白さ。
あらすじを読んだ限りでは、主人公が「人間」ってことをネタにしつつ(バレたら殺されるはずなので)ロボットの<学園>で繰り広げられるラブコメという印象。だが「人間」という事実は早々に明るみに出て、それでも自らを「人間」と呼ばれたことに苦悩する奈々子は自分を慕ってくる。人間以上に人間らしい彼女と人間なのに祖国の命令に従って動く「ぼく」との対比。「人間とロボットの違いはどこにあるのか?」「感情とは何か?」「人間とは何か?」お話はそういった所まで踏み込んでくる。
ロボットの反乱や自我の問題はSFとしては古典的なテーマではあるが、そういった重い物を背景にしつつラブコメという形をとっているのが新しく面白い所。時折出てくる「核心をついた発言」がラブコメの微笑ましい空気の中でより鋭利さを増すのが素敵。可愛いあの子が実は…とか。…ロボットの自我と恋愛という話に限れば題材としたお話は結構存在するものの、人間とロボットの対立を前提にしていて、かつ主人公自身までが「人間かロボットか?」という状況に晒されるお話はなかなか無いと思う。まぁこの作品の場合、ロボットが人間らしく振る舞い過ぎて、あまりロボットらしく感じられないというのはSFとしてはマイナスか(ラブコメとしちゃプラスだけど)。
一人称で、主人公にもまだ謎が残されていることもありモノローグ多目。ストーリー自体がシリアスっぽいのも影響してかラブコメといいつつ意外にラブコメ成分は少なめかもしれず。ただ、量はともかく質は相当はっちゃけてる…と思われる。日日日は『うそつき』『ちーちゃん』『エンドロール』しか読んでないのでラノベレーベルから出てる作品がどうなってるかは知らないが、少なくとも前者3つとは比較にならないはっちゃけ振りというのは確実。個人的にはラブコメとSF(的な物)、ギャグとシリアスをハーフ&ハーフで読ませるのが非常に壷なので続編も購入大決定、というか既に買ってきた。1巻も終わり方としては綺麗な部類なのだが、謎はほとんど放置されてるので次巻以降が非常に楽しみである。少なくとも3巻『高等教育編』までは出るらしい。




赤ずきん

小柄で、華奢で、抱きしめただけで壊れてしまいそうな。儚げな、花と戯れるのがよく似合う―可憐な幼女。
なのだがッ

< わかったぞ。君はロリコンなのだね。私のような可憐なロリっ娘に欲情するようなペド野郎か。ふふ、哀れな生き物め。いいだろう――存分に萌えるがいい、萌えるがいいよ。ふはははっ!>
英雄と呼ばれるお子様は、挑発的にM字開脚をすると高笑った。

※押絵付き

< ならば存分に脳内で私を押し倒し脳内で射精して脳内で妊娠させ脳内で幸せな家庭を築くがいいよ!ただしそれらの一つでも実行したら君の全人格を陵辱した上で残忍に殺してやる!>

< おやおや。どうして隠れるのだねギロチン子くん。恥ずかしがることはない。かつては互いを親友と呼び合った仲ではないかね。こら隠れるな臆病者。ひひひ、この狭いベッドの上で逃げられると思っているのかね。ほら可愛いお尻が見えた。顔を出さんと辱めるぞ。尻の処女が大切ならば顔をだせギロチン子くん。>

何コレ?…素晴らしいですね!


■感想リンク■

4199051619ギロチンマシン中村奈々子―義務教育編
日日日
徳間書店 2006-10